2015.11.06

Human Caring

今日は、母校でDr. Jean Watsonの講演を聴いてきました。
私が学部に在籍していた2003年にも母校でWatsonの講演がありましたが
当時の私は看護理論のような抽象的なものに全く興味がなく
むしろケアリングのような甘ったるい考えを嫌悪していた不良学生だったので
完全スルーしていたんですよね…(恥)

WatsonのHuman Caring Theoryは、看護における目に見えない現象を言語化することを目指しています。
単なる看護介入や医療的処置、それに伴うアウトカムだけでは評価できないケアリングという概念を
人と人に間に生じる現象として、他の科学では説明できない「Mystery & Miracle」すらも含めて
10 Caritas Processとして論じています。

つい先日、Dr. Patricia Bennerの来日記念講演にも行ってきました。
Bennerの講演では、クリティカル領域の現場における実例が多く語られたのが印象的でした。
治療的ニーズが大きいクリティカルな時期には、看護の成果と治療の成果が区別しにくいので
一般的に「看護」が語られるときにはがん看護などの亜急性期から慢性期にかけてであることが多いのですが
BennerはICUにおける新人指導の場面や、心肺停止時の蘇生場面などを実例として挙げていて
クリティカル領域で臨床経験を積んできた私としては、イメージしやすかったです。
一方でWatsonの挙げる実例では、どちらかというとクリティカルではない場面が想起されました。
「5分間、何もせずに患者と共にいる」というプロトコルも、救命救急センターでは難しいことです…
それでも、Watsonの唱えるHuman Caringが救急看護においても重要なのは間違いないと思います。
「救急だからHuman Caringはできない」なんて、情けない事は言いたくない。
「救急でもできる」むしろ「救急だからこそできる」Human Caringを諦めたくないと思いました。

アメリカでは、WatsonのCaritas Modelを電子システム化した病院もあるそうです。
Watsonのケアリングと電子システムは相対するもののようにも見えるけど、やろうと思えばできるみたい。
その結果、看護実践におけるケアリングが言語化され、ケアリングが明らかになったとか。
「どんなに素晴らしい看護を実践していても、それを言語化して残さなければやらなかったのと同じです」
ええ、その通りです… 私もまさにそれが課題だと思っていたところ。禿同。
わかっていても、難しいのが言語化。更に難しいのはそれを概念化することだと常々。
Watsonは今年9月に、ケアリングの測定に関する新しい論文を発表したそうです。
目に見えないものを言語化し明らかにするために、大家もまだ研究し続けているのですね。

日々の臨床やCNの仕事に忙殺されていると遠くなりがちなアカデミックな観点を
隣に母校があることでしばしば思い返させてもらえる機会があるのはありがたいことです。
それにしても、医学書院主催のBenner来日公演は1万円だったことを考えると
Watsonの講演を無料でやっちゃう母校の太っ腹さ、
そして母校の教授とWatsonとのrelationshipに脱帽…



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2015.09.10

記憶の曖昧さ

今年も実習生がきています。

自分が実習していた日々からもう2年たったのか…
あのときは自分の病院が実習施設になるなんて思っていませんでした。

実習生の記録を見させてもらうとき、
アセスメントのフレームや領域の定義などを思い出すために
自分の実習記録を引っ張りだして読み返します。
1年ぶりに読み返してみると
「こんなこと書いたっけ?」「こんなこと考えてたっけ?」と
自分がやった看護実践、自分が書いた記録なのに
他人の記録を読むように新鮮な気持ちで読めることに驚く…
あれだけセンセーショナルな体験だったはずの実習さえこんなに忘れるのだ。
「大変だった」とか「充実していた」とか、抽象的な記憶は残っているけど
自分の細かい思考過程や実践は信じられないくらい忘れている。
膨大な記録をまとめる作業は本当に辛かったけれど、
記録に残っているからこそこうやって読み返して思い出す事が出来る。
言葉の力を改めて感じている次第です。
逆に言えば、記録に残っていなければ看護なんて容易に忘れ去られてしまうのだろうな…

臨床で働いている中の記録は、ただの業務的な記録になりがちで
自分の思考過程や看護実践をありありと言語化できていない現実があります。
サーッとながれていく業務の中で、どれだけ看護を記録として残せているのだろうか。

言語化、難しいけど努力しなければなりません。

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2015.07.31

魔法の包丁

半年ほど前から、お弁当生活が復活しています
学生生活から復職してしばらくは、忙しさにかまけてお弁当作りどころか料理をほとんどしていなかったのですが
きっかけは今年の1月、タダフサで包丁を新調したこと!




感動的な切れ味で料理の腕が上がった気分になり、料理熱も一気に上昇
そして久しぶりにお弁当を作ってみたら市販のお弁当と比べものにならないほど美味しくてびっくり!(手前味噌・笑)
それ以来、「職場でちゃんと美味しいもの食べたい」とゆう食い意地がモチベーションとなってお弁当作りが継続しています

これまでも何度かお弁当生活をしていた時期がありましたが
昔に比べてだいぶ地に足のついたお弁当を作れるようになった気がする
年のせいですかねー









一昨年の学生生活中のお弁当に比べて明らかに量は多いです
やはり臨床で身体使って働くと消費エネルギーが全然違うんですね


料理は、あたしにとって一番身近な創作活動
味や食感・彩りとか想像しながら作る過程も楽しいし、
美味しくできると快感だし、食べて幸せ♡
気持ちがトゲトゲしてるとうまくいかないことが多いのですが
そんなときふと包丁に刻まれた「愛を込めて」のメッセージを見ると
「そうだ、料理は愛を込めて作らないといけないな」と思って一呼吸おいて気持ちを落ち着けられる

料理の腕やモチベーションを上げてくれるし
心も穏やかにしてくれる
タダフサマジック素晴らしいです!

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2015.03.14

ケアリングの体現

昨日は退官される母校の教授による最終講義でした

この最終講義の噂は卒業生の間でかなり話題になっており
ずいぶん前からFBのあちこちでシェアされていたので
たくさん人が集まるだろうなぁとは思っていたのですが
当日は同級生・先輩・後輩はもちろん、看護界の名だたる先生方がたくさん集結して大盛況でした
席が足りずに別室にサテライト会場ができたくらい
あたしは早めに行っていたので前から4列目で聴くことができました

テーマは
「看護におけるケアリング」
「感情と看護」

素晴らしかったです
改めて自分の母校を誇りに思えました

ケアリングは、CN教育課程の担任を通して出会ったばかりの概念
この概念に出会えてから、あたしの看護観は大きく変化しました
ケアリングはたくさんの理論家によって概念化され定義付けられています
Mayeroffの、相手をケアすることで自分もまた自己実現するとうケアリング
Leinigerの、多様な文化・価値観に合わせたケアリング
Watsonの、環境としての看護師がケアリングの場となるとゆう考え方
Bennerの、卓越した知識に支えられた実践としてのケアリング…

あたしはCN教育課程の臨地実習ケースレポートをケアリングを用いて考察しました
実習終盤でようやく「ケアリングってもしかしてこうゆうことかも?」と気づき
そこからわずか1ヶ月の間にケアリングに関する文献を読みまくって考察したのだけど
到底理論は読み切れないし、さらにそれを理解して自分の中に落とし込み考察として言語化するのは困難を極めました
それでも何とか考察をまとめて発表したわけですが
その後現場に戻り、大学院の科目履修や日々の看護実践を通してケアリングの理解を深め、
そして昨日のケアリングの大家である教授による講義を聴いて思ったのは
「ケースレポートでの考察もいい線いってたかも」とゆう自画自賛!笑
ちゃんと相互作用としてのケアリングに行き着いていたではないですか
まだ自分でもよくわかっていなかったのに、こうゆうことがケアリングなんじゃないかと嗅ぎつけた自分の嗅覚に我ながら驚きました笑

CN教育課程の担任も昨日の最終講義を聴きにきてくれて、念願だった担任と母校の教授の対面も実現しました
教授は担任を見るなり「ちょっと!ハグしていい!?」と言って目の前でハグ
そしてあたしには「連れてきてくれてありがとう!貴女も頑張っているのね!」
と言って一緒に写真を撮ってくれました

ケアリングの概念を理解するのはすごく難しいです
でも、ケアリングに溢れた2人の先生を見ていると
ケアリングを体現している人たちの実践て実はすごくシンプルなのかも…とも思う
まず自分を大切にし、相手を大切にする
シンプルだけど難しいこと
そうゆうケアリングを体現できる人たちに出会えて幸せ!
いつか自分もそうなりたいし、伝えていきたいです

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2014.10.05

Connecting the Dots

今日はSteve Jobsの命日です

3年前、Jobsが亡くなる数日前に私はiPhoneユーザーになりました
今でこそApple3種の神器(iPhone・iPad・MBA)を所有する私ですが
当時の私はApple信者でもなんでもなく、むしろSony信者でした
それでもApple製品の魅力は徐々に感じてきていて
ガラケーがボロボロになってスマホに切り替えようと考えたとき
スマホにするならiPhoneじゃないと嫌だなと思うようになり
当時まだiPhoneがなかったdocomoユーザーの私はネットあれこれ調べまくり
SIMフリーのiPhoneを入手してdocomo回線で使用するという裏技を繰り出し
10月からiPhoneを使い始めたのです
そんな矢先にJobsが亡くなりました
世間はそのニュース一色で、彼の偉大さを思い知ったものです
私は使い始めたばかりのiPhoneで彼についてググっていました
そしてかの有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチにたどり着いたんです
家の近所のコンビニに向かいながらYoutubeで見ていたんですが
感動して鳥肌が立ち、途中で立ち止まって見入ったことを今でも鮮明に覚えています

彼の命日である今日、SNSのTLのあちこちにそのスピーチの名言がみられます
久しぶりにもう一度見直したくなって動画を見たら、やっぱり感動しました
特に今の自分に響いたのは“Connecting the dots”から始まる一節

You can't connect the dots looking forward;
you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

点と点を繋ぐこと
それは過去の時点でやろうとしても不可能で、将来過去を振り返って初めて繋がる
今の私たちにできるのは、現在の点が未来のどこかの点に繋がると信じること

救急なんて全く興味がなく、出来が悪いから飛ばされただけだったけど
そこでもがきながら働いたおかげで認定看護師になるという選択肢を得る事ができました
大学受験のとき、文系より理系の方が就職に有利だと知り文系が得意だった私は落胆したけど、
認定の学校に進学したとき、文章を書くことが苦でないことが役に立ちました
iPhoneを使い始めてすぐに水没させたときは絶望感に苛まれたけど、
そのときAppleStoreで受けた感動的なサービスが認定の学校のレポート課題に役立ちました
去年ハードな実習に明け暮れていた頃はとにかく必死で没頭していたけど、
今年自施設が実習施設になって、あのとき苦しんで書いた実習記録が実習指導に役に立ちました
大学はある程度偏差値が高かったから選んだだけで特別な理由はなかったけど、
認定の学校でケアリングという概念に出会い、その大家は母校にいました
母校の隣の病院に就職したのはたまたまそこから奨学金をもらっていたからだけど
職場の隣に母校があったおかげで働きながらケアリングを学ぶために科目履修できることになりました

小さなことでもいい、未来に繫がると信じること
今、Jobsの言葉の意味は実感として理解できます
そしてもうひとつ

The only way to do great work is to love what you do.

自分の仕事を愛することは、仕事に夢を持つことと同義な気がする
点と点を繋げることは夢へと繋がる道を拓くこと
そう考えると、「夢にむかって」という担任の言葉に帰結します
Photo

何年か後、あたしはどんなふうに点と点を繋いでいるんだろうなぁ

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